2020/08/02

地テシ:161 サンシャイン劇場の思い出 の巻

本日、8/1にWOWOWさんの連続企画「劇場の灯を消すな!」の第二弾である劇団☆新感線×サンシャイン劇場編がオンエアされましたね。私の「勝手に劇場案内」はともかく、放談や座談会や進行役の中谷保坂、そして素晴らしい朗読劇など、懐かしの劇場で語られる多くの言葉が想い出深く、感慨深いものがありました。ちなみに、見逃した方には9/23に再放送がありますし、WOWOWメンバーズオンデマンドならいつでも見られますよ!
「勝手に劇場案内」では割と行き当たりばったりで喋っているので、やたらと噛みまくっているのはどうかご容赦下さい。なにしろ人前で喋るのも久しぶりでしたんでね。

舞台となったサンシャイン劇場には本当に様々な思い出があります。近年、一作品あたりのステージ数が増えているのでステージ数では判りませんが、作品数ならば一番数多く立った劇場だと思います。新感線だけでなく、キャラメルボックス関係などでも何度もお世話になりました。初めてサンシャイン劇場の舞台に立たせて頂いたのは1991年の「仮名絵本西遊記」ですから、もう30年近いつきあいになります。

「劇場の灯を消すな!」の中でも色んな人による様々な思い出が語られていましたが、まだまだ語られていないエピソードがあるんですね。要するに、どうでもよいけど忘れられない思い出がたくさんあるんですよ。

かつては東京宿泊を取ってもらえなかった時代がありまして、友人宅などに分宿していたのですが、サンシャイン劇場に出られるようになった頃からウィークリーマンションを取ってもらえるようになりました。高田馬場駅近辺に大きなウィークリーマンションがあり、そこを定宿のようにしていましたね。毎日、高田馬場駅と池袋駅の往復です。
予算の関係で一人一部屋というワケにもいかず、二人で一部屋でした。ルームメイトは右近健一くんだったり乾肇くんだったりしましたが、劇場で出たお弁当の余りをもらって帰って、宿で食べたりしておりました。
誰かの部屋に集まって酒を飲んだり、「男の料理大会」なんてイベントが開かれたり、つい騒ぎすぎてしまってとなりの部屋からカベを叩かれたり。今思えば、遅れてきた青春みたいな感じだったのかもしれません。

我々が高田馬場を定宿にしたコトをキッカケに、関西の劇団の多くが東京に行く際には高田馬場を選ぶようになり、東京なのに関西の演劇人にバッタリ会ったりして、そのまま部屋で飲み会をするなんてこともありました。そこでは様々な人間模様が繰り広げられておりました。
詳しくは掛けませんが、餃子パーティーでボヤ騒ぎ事件とか、こちら七曲署事件とか、廊下占有事件とか、ベランダ経由移動事件とか、声を高田馬場に置き忘れてきた事件とか。ああ、これではサンシャインの思い出ではなく高田馬場の思い出になってしまいますね。

サンシャイン劇場はサンシャインシティという大型複合施設の中にあるのですが、一時期日本で最も高かったビル「サンシャイン60」や水族館や博物館、商業施設ALTAやALPAもありました。
当時、サンシャインシティ内に「美濃屋 文右衛門」という蕎麦屋が二軒あり、そこの「重ねあい鴨そば」がとても美味しかったのですよ。合鴨の風味の強い暖かいつけだれで食べる蕎麦が大人気でした。ある時の公演終了後、打ち上げまでの間に文右衛門で大食い大会が開かれたことがありました。重ねあい鴨そばを何枚食べられるかというイベントです。主催の古田くんが早々に脱落して全員の蕎麦代を払うことになったり、優勝したタイソン大屋くんが賞金をゲットしたり。なんともおおらかな時代でした。

また、サンシャインシティの敷地は元・巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)でもありましてして、所内に処刑場があり、多くの戦争犯罪者が処刑された場所でもあります。当時、手伝いで出演してくれていた若い子が霊感が強くて、地下の商業施設を歩いていた時に「今、旧陸軍兵士とすれ違いましたよ」と言ったのは本気だったのか冗談だったのか。

今回、収録のために久しぶりにサンシャイン劇場の舞台に立ってみて、もちろん懐かしさはあるのですが、それと同時に新鮮さも感じるという、なんだか妙な気持ちになりました。「劇場感」が新鮮だったのです。「劇場」というものから思った以上に長く離れていたからかもしれません。
WOWOWさんの今回の企画「劇場の灯を消すな!」の通り、演劇というものは劇場で上演されてこそ最大の魅力を発揮します。なんとかして、皆様にまた劇場に足を運んで頂けますように努力をして参ります。
またいつか、劇場で皆様のお目に掛かれることを楽しみに、日々精進して参りたいと思います。それまで皆様もどうぞお健やかに。