2013/03/22

テシタル地上派041 伏見城に行こう! その壱

ご無沙汰しております。いや、割と暇なんですが、色々とあるのよ。芝居見に行ったりとか。そしたら飲んじゃうとか。帰ってきたら寝ちゃうとか。ほら、いろいろね。

さて、先日、佐和山城に行った話を書きましたよね。
http://awanemacoto.blogspot.jp/2013/02/blog-post_27.html
で、なんで佐和山城に行ったかを今一度書きますと、二月まで上演していた「ジパンク」での私の役が石田三成だったからですよ。三成は佐和山城主であったのです。

その「ジパンク」には麿赤兒さん演じる豊臣秀吉も出ており、頻繁にその当時の居城である伏見城も出てくるんですね。出てくるっていうか、伏見城内のシーンというのがあったのです。

伏見というのは京都市の南部に位置する伏見区にあり、全国の稲荷神社の総本社である「伏見稲荷大社」や五重塔で有名な「醍醐寺」、明治維新での「鳥羽伏見の戦い」、薩摩藩士や坂本龍馬が襲われた旅籠「寺田屋」、多くの日本酒蔵元などで有名です。そして、もちろん伏見城ですよ!

伏見城は太閤秀吉殿下の隠居後用に建てられたというのが通説ですが、わざわざ宇治川の流路を変えたり巨椋池を埋め立てたりしてまで作ったところを考えると、相当気合いの入ったちゃんとした城であっただろうと推察されます。伏見街道で京に繋がり、宇治川〜淀川の水運で大坂と繋がる、謂わば物流の結束点として京と大坂の両方を押さえようとしていたのではないかと思われます。

伏見城は三度建てられており、一代目は指月山に建てられましたが、伏見地震で倒壊。二代目は木幡山に築かれ、これが一般に謂うところの伏見城です。太閤殿下が亡くなったのもこの木幡城。で、太閤逝去後は徳川家康の城になっていましたが、関ヶ原の合戦の前哨戦として西軍によって落とされ、全て焼亡したそうです。その後、関ヶ原の合戦の勝者であった家康が三代目を再建。1603年の征夷大将軍の宣下はこの三代目伏見城で受けています。それどころか秀忠も家光も、三代目までの将軍宣下はこの伏見城で行われていたのです。意外ですね。

さあ、それでは「ジパンク」の舞台にもなった伏見城に行ってみましょう。最寄りにはJR、近鉄、京阪、京阪宇治線など各線の多くの駅がありますが、今回は京阪丹波橋駅から向かいます。なぜなら途中の京阪淀駅が淀城の横を通っているから。
淀屋橋駅から京阪の新しい3000系の青と白の特急に乗って、途中の淀駅辺りでは淀城の遺構を眺めたりして、あと「ひらパー」こと枚方パークもチラ見しながら丹波橋駅で下車します。
ここからは歩いてでも行けるのですが、山上にあるため当然登り道。本番中の休演日だったのですが、体力温存を考えてタクシー移動します。ちなみに、「伏見桃山城へ」と言えばワンメーター程度で着きます。

現在は「伏見桃山城運動公園」となっている一角に、こちらの伏見城がありました!


 









ドーン!


 















ドドーン!


 














これが! 伏見城!




ええと、ここまで煽っておいて恐縮ですが、実はこのお城は鉄筋コンクリート製の模擬天守です。つまりニセモノです。
この敷地にはかつて「伏見桃山城キャッスルランド」という近鉄グループの遊園地がありまして、そこのアトラクションとしてこの模擬天守は建てられたのです。洛中洛外図を元に想像で再現されたモノであり学術的価値はないそうで、城の入り口にもこのような断り書きが掲げてありました。

うはあ、そんなにはっきり言い切っちゃうんだ。不憫ですねぇ。しかし、昭和39年の建設ということは私と同い年です。建って48年。そりゃ老朽化もするでしょう。キャッスルランド時代には中が博物館になっていて入る事もできたそうですが、現在では入場禁止です。
あと、なんでか知りませんが、その横の掲示板には画鋲で「ハロー」と書いてありました。

何でしょう、せめてもの歓迎の気持ちでしょうか。


さて、そんなことは先刻承知です。いくら城好きの私でも、模擬天守には大して興味はありません。でも大阪城のように鉄筋コンクリート製の復興天守でも内部が博物館になっていれば興味がありますが、入る事もできないんじゃしょうがない。
では、なぜわざわざそんなところに行ったのか!

ええと、長くなったので、続きは次回!

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