2011/12/13

テシタル地上派 019 あかぎ児童遊園の巻

さあ、今年ももうすぐ終わり。テレビ朝日系深夜ドラマ「11人もいる!」も次回が最終回。私はもう出ていませんが、物語は怒濤の展開を見せますよ。お見逃しないように!
それから去る12/10の夜は皆既月食でしたね。みなさんはちゃんとご覧になりましたか? 10年に一度くらいに好条件の皆既月食。もちろん私も観ましたよ。小学生の頃、深夜2時頃の皆既月食を観るために、目覚ましで起きて2時間くらいジッと観ていたことを思い出しました。あの時は本当にキレイだったなあ。あ、今回のも綺麗でしたよ。皆既食になった時に月が赤くなるのは光の屈折率と拡散率の違いです。

さて、久しぶりの更新となりますが、以前から書いているオフの間に旅行した新宿区の二ヶ所目の話の続きです。だから旅行じゃなくて散歩なんだってば。もうこのネタも飽きてきた頃ですが、みなさま如何お過ごしでしょうか。
一ヶ所目は信濃橋駅近くの坂道でしたね。二ヶ所目もそう、お察しの通り坂道です。ていうか、傾斜のある土地です。傾斜のある土地、それすなわち坂なのですが、家が建っていればそれは坂道ではなく「傾斜のある土地」です。傾斜地に家は建てたくないモノですが、東京は傾斜の多い土地ですから仕方が無いんですね。
今回行ったのは地下鉄神楽坂駅の近くです。神楽坂駅ってくらいだから当然神楽坂という坂がありまして、それはそれは長くてキツくて広い坂道です。しかも都内には珍しい、時間によって一方通行の方向が変わる道です。この辺りは現在でこそ閑静な住宅地ですが、明治から昭和初期にかけては歓楽街として賑わっていたようです。山の手にありながら下町的な猥雑さのある街として賑わい、文人達も住んだり通ったりする情緒のある街でした。今でも石畳の路地が多く残り、かつての風情を垣間見ることが出来ます。
しかし、江戸時代にはココは旗本御家人屋敷街でした。今でも残っている町名にも、「二十騎町」や「払方町」、「箪笥町」など、役職に由来した町名が残っています。

中流武士が軒を連ねてズラッと住んでいたワケですね。御家人屋敷の特徴として、同じ間口、同じ奥行きの敷地が並んでいました。一軒の敷地は今の中型マンションほどもありますが、まあ当時の新興住宅地みたいなものですね。
で、その敷地は同じ高さの土地を細長く切り取るように仕切られるのが主なのですが、時によって敷地内に段差が含まれる場合があります。時代が降ってその敷地が転売されてマンションが建ったり、分割されて民家が建ったりするのですが、所々にはその区画が丸々公園になっていたりします。山の手にある長方形の公園は大抵そうやってできた場所です。
今回行った「あかぎ児童遊園」もその一つ。神楽坂駅のすぐ北にある公園です。場所はココ。



江戸時代の古地図を見ると、この場所は「御持筒組」の組屋敷があったところで、組屋敷というのは同じ役職の御家人達が下賜された土地を分割して住んでいたエリアのコトです。御持筒組ですから鉄砲隊ですね。その一軒分がこの公園になっているようです。
この公園には段差があり、その段差を利用したのが以前に掲載した二連ゾウさん滑り台というワケです。

ゾウさんの横にある階段を見れば結構な段差があることが判ります。ちょい北を流れる神田川の河岸段丘ですね。

この段差が故に、一頭ではなく二頭のゾウの滑り台になっているんです。まあ鼻が繋がっているのは異様ですが、その分長く滑り降りられるワケですね。耳の部分には取っ手や石が配置されていてクライミングも楽しめるようになっています。
ちなみに上から見るとこんな感じ。

結構な落差です。そして結構な細さです。大人が、しかも50歳近い大人が滑るにはちょっと辛そうだったので、見るだけにしておきました。

そんな新宿区散歩ですが、まだ続きます。ってどんだけ散歩したんだよ。